2018年5月18日~6月12日 デナリ遠征

カヒルトナ氷河&フォレイカー

みなさまお久しゅうございます。いやー今年は暑かったですね。もはや秋の気配すら漂ってきましたので、忘れないうちに遠い異国の話でもひとつ。

帰国してすぐから仕事で忙しかったので報告が遅れてしまいましたが、今年は5月から6月にかけてアラスカはデナリに行っておりました。目標はカシンリッジ…だったのですが期間の半ばから天候が悪く結果的にノーマルルートのみの登頂となってしまいました。 僕の駄文で皆さまのお目を汚すのも憚れるのですが、まぁ今後アラスカに行く人のせめてものご参考になればとも思いますので記録を残しておこうと思います。

 

メンバー:西田、O(中央労山)、Y(中央労山)、I(釧路労山)

渡航前の段取り
まずはさておき、デナリへ行くための渡航前の段取りは以下のような感じ。
アメリカの入国申請(ESTA)
デナリの入山申請
アラスカからタルキートナまでのシャトルバンの予約
タルキートナからランディングポイントへのセスナの予約

ここら辺を英語ですべてこなすのが渉外の一番大変なところではあるが、グーグル翻訳を駆使すればブロークンな英語でも時間はかかるが大抵のことは何とかなる。ランディングポイントへのセスナは僕らはTalkeetna Air Taxiを使ったが、前年から予約しておけば一人50ドルオフのクーポンが使える。ちなみにアンカレッジまでの航空券はイーツアーという旅行会社で安い往復チケット(97460円)を購入。アンカレッジからタルキートナまでの移動が10000円くらい。(Planet Earth Adventures https://www.discoverak.com/)

●装備品
ブーツ:スパンティーク
オーバーブーツ:40Below K2superlight
スノーシュー:MSRライトニングアッセント
アイスアックス:ペツルクォーク
シュラフ:ナンガオーロラライト900DX、ナンガオーロラライト700SPDX
マット:モンベルコンフォートシステムマット90、リッジレスト120cm
ザック:ブラックダイヤモンドスピード55、メトリウスエルキャピタン
ヤッケ:モンベルダイナアクションパーカー、モンベルマルチトラウザーズ
靴下:ノースフェイスアルパインクライマーソックス×2
下着:スマートウールメリノ150×2、ユニクロ速乾パンツ、モンベルスーパーメリノウールEXPタイツ&同シャツ、モンベルスーパーメリノウールMWタイツ&同シャツ
中間着:パタゴニアR2、モンベルトレールアクションパーカー、マウンテンハードウェアマイクログリッドジャケット
防寒着:モンベルフラットアイアンパーカー、パタゴニアDASパーカー、ナンガスーパーライトダウンパンツ
グローブ:モンベルアルパイングローブフィット、テムレス、イスカオーバーグローブ+ モンベルウールマウンテングローブ、ヘリテイジダウンミトン、100均伸び伸び手袋
クライミングギア:ハーネス、クイックドロー、ヘルメット、カム・ナッツ一式、アイススクリュー×10、スノーバー×3、ロープ(60mダブル×2、60mシングル×1)
テント:エスパース×3
ストーブ:MSRウィスパーライト、ジェットボイルSUMO
他Gopro Hero6、ダイアモックス、サングラス+鼻当て、ゴーグル、衛星携帯、FRS無線等

ベントプロップインにて
ベントプロップインにて

デナリ装備で特に有用だったのは、シュラフカバーの要らないナンガのオーロラライトと いう寝袋で、軽量でシナシナにもならず非常に良かった。東京目黒のショールームの店員さんによるとかぎ裂きや生地の劣化等も全て無料で面倒をみてくれるそうな。嚙み込み防止の工夫のされたジッパーも他社では見られない工夫でGood。 あと、ノースのアルパインクライマーソックスもやっぱりええです。ピークアタック時も足は冷たかったけど問題無し。何日も履いているとふくらはぎがカブレることがあるがテントで足をウェットティッシュで拭くと大丈夫。テムレスもメディカルキャンプくらいまでは使える。GoproはHero6から随分と耐寒性能が良くなった気がする。Gopro Hero4だと極寒状況ではいつも数秒で電源落ちしていたが、GoproHero6はピークアタック時も普通に使えた。Sonyのアクションカムも結構大丈夫そう。

※日本からEMSで山道具を送るのはめちゃくちゃ面倒!
今回行きの飛行機で持って行きにくい重い&嵩張る山道具や、山行中の食料の一部などはあらかじめEMSでアンカレッジのシャトルバンの会社に送ったのだが、渡航前の最も面倒な手続きがこれであった。日本からEMSで荷物を送るときは、内容物全てについて一つ一つの品名や重量、値段などを明記した書類を作る必要があるのだが、これがもういやがらせかっちゅうほど詳細な内容明示を求められる。例えば、今回荷物の中に凍傷予防用のビタミンEのサプリメントがあったのだが、荷物を出した後中央局から電話がかかってきて「サプリメントの成分表の提示」を求められたうえで、内容物の再確認と書類の訂正をする羽目に。これはほとんど無意味な手続きのための手続きで、これの後もずいぶん日本の手続き主義と、ある種のアメリカの合理的ないい加減さのコントラストを強く感じた。逆にアメリカから日本へ荷物を送るときは、重量オーバーさえしていなければ内容物などは適当な表記でもほとんどフリーパス。ちなみに、ガソリンストーブやガスストーブ類はどちらでも送ることは出来ない。ただし、飛行機の荷物であればすんなりOKである。 MSRの燃料ボトルもキャップを開けておくと臭いがなくなるので、すんなり通るようになる…これはMSRのカスタマーセンターの方(たまたま昨年デナリに登っていた)から教えていただいた。

●5/18~5/20 成田から出国~アンカレッジにて準備
そんなこんなで成田からダラス経由で丸一日飛行機に乗ってアンカレッジへ。まずはミッドタウンの「ベントプロップイン」というドミトリーに投宿。ここはカムイ岩でお会いしたクライマー高柳傑さんから教えていただいた宿で、広々としていて炊事場もありウォルマートや山道具屋のAMH、REIにもほど近く大変居心地が良かった。ここで二泊して食料や道具を調達。ちなみに、僕らは石で着火するライターを探すのになんとなく苦労したが、ウォルマートの1番と8番レ ジの横付近で発見。REIやAMHではスノーシューやスキーをレンタルすることもできる。 これらは日本から送るにも結構料金がかかるのでレンタルするのも手である。AMHの近くにスポーツディスカウントショップがあるのだが、ここでミウラーベルクロの新古品が30ドルで、5.10のウォーターテニーが40ドルであった。

セスナ搭乗
セスナ搭乗

●5/20~5/21 アンカレジからタルキートナへ移動~セスナでランディングポイントへ
予約していたシャトルバンに二時間乗ってタルキートナへ移動。移動最中にもムースが出てきたり、前衛の山も日本とはけた違いにデカいので気分が高揚してくる。タルキートナはいわばデナリ登山のための前線基地のような小さな町で、登山者や観光客であふれ賑わっていた。セスナ会社Talkeetna Air Taxiにチェックインしその日はバンクハウスに泊。バンクハウスというのはTATが管理する無料の共同宿舎(単なる小さな家だが)で、キッチンもシャワーも物干 しスペースもあり快適であった。驚いたことに、ここの本棚からたまたま手に取って読んでいた日本の本~吉村昭の「羆」だったが表紙の裏にW.DZとのサインが。レンジャーステーションでのミーティングを行い、クリーンマウンテンカン略してCMC と呼ばれる携帯トイレバケツを受け取る。セスナへ荷物の積み込みを済ませ、いよいよラ ンディングポイントへ。このセスナから見る景色はなかなか忘れがたいもので、地面が徐々に里~緑~湿原~ツンドラ~氷河などとグラデーションの色合いを変えていくのが素晴らしかった。高度を上げるごとにデナリやフォレイカー、ハンターなどの山並みが迫ってくる。ランディングポイントへ到着し、ここのレンジャーから、TAT経由で予約していたソリとガソリン5ガロンを受け取る。何かの記録でソリはレンジャーステーションの横あたりに山積みになっていて好きなのを使えるというようなことを見たが、実際に現地に行ってみるともうそういうことは無かった。この日はステーキを食して入山の祝いとし、そのまま泊。ここでは夜は暗くならない(アンカレッジでは少しは薄暗くなる)ので、着いてすぐ用意をして出発するパーティもいた。テントの前にはハンターのムーンフラワーバットレスが威容を誇っていた。

喜ぶO氏とハンター
喜ぶO氏とハンター

●5/22 LP~C1へ
まずはウェストバットレスルートで高所順応を行うため、60mロープでメンバー各々アンザイレンし一路カヒルトナ氷河を北上。背負いきれない荷物はソリに乗せ、ソリにもロープをクリップする。このソリとロープの段取りも慣れないとなかなか大変なもので、バラ ンスを崩すとすぐ荷物がソリごとコロンと引っ繰り返ってしまう。他にも沢山のパーティがいてトレースはばっちりついていたが、山域のスケールが大きいので歩けども歩けども一向に前に進まない。感覚的な地形の縮尺は日本では1/25000が基本だが、デナリでは1/80000くらいにしないと合わない感じ。あと、やっぱり氷河上は太陽が出ているとひたすらに紫外線が強く、サングラスや鼻当ては必須。僕はいつも使っているORの幅広の帽子を被り、その下に三角に折ったバンダナを首の後ろと側頭部を覆うように着けていたのだが日除け効果は抜群で適度に通気性もあって非常によろしかった。バンダナは夜寝るとき喉の乾燥予防用マスクとしても使えるし、アラスカではかなり有用なアイテム。そんなこんなでソリを引っ張って北東フォークの出合いのC1まで来てみると、ガスの合間にウェストリブやカシンリッジの下部らしきものが見えていた。初日行動お疲れさまの意味合いも兼ねてアラスカサーモンを食して泊。

●5/23 C1~C2荷上げ~C1
この日は順応を兼ねてC1からC2に荷揚げをして、C1まで戻ることに。スキーヒルを超えて、だだっ広い雪原を歩いていくと程なくC2に着。ここに荷物用テントを張って食料や燃料などをデポ。帰路は身軽になってC1に向かうも、ソリを引っ張りながらスキーヒルを下るのはなかなか大変。水分補給に気をつけ休憩ごとになるべく沢山水分を取るように努める。C1に帰ってみると、千葉県から単独で来た石橋さんという方と出会う。日本人は使っているテントですぐ判るのであった。

フォレイカー
フォレイカー

●5/24 C1にて停滞
朝起きてみるとなかなか視界が悪く、他のパーティも出発を渋っている様子。スキーヒルより上ではホワイトアウトだと行動が困難なので停滞とした。本を読んだり、トランプをしたり、オーバーパンツを繕いながらのんびり過ごす。尚且つこの時僕はレザーマンナイフのねじ回しとペンチを駆使してラジオを分解し、直接基板からアンテナ端子と針金を短絡して外部に出し、これにイヤホンを繋いで感度を大幅に良くするという大手術を敢行。この時よりアラスカのすべてのラジオ局が受信可能に。レザーマンは長期山行にはやっぱり便利。ちなみに僕らは天気予報を山岳会の仲間から、マウンテンウェザーフォーキャスト (​https://www.mountain-forecast.com​)というサイトの情報を略号にしてインマルサット衛星携帯に送ってもらうことにしていた。しかし、結果的にインマルサットはこのC1はおろかC3まで登らないと通じなかった。これはおそらく南の空がハンターやフランシスで遮られていたためと思われる。ちなみに、このマウンテン ウェザーフォーキャストというサイトを用いるのは前年の登研の時に平出和也さんから教えていただいたもの。天気予報はまたランディングポイントBCから毎晩20時にFRS無線の1チャンネルで放送されるのだが、これは事前の噂通りほとんど当てにならなかった。内容と いえばNext morning…some cloudy and chance of snow 50%…same until Sunday.というようなものがほぼ毎日繰り返されるだけで、これを信じて突っ込んでいくといずれは死ぬかもしれない。

ソリを引いての登高
ソリを引いての登高

●5/25~26 C1~C2(デポ回収)~C3
再度スキーヒルを登って、C2のテントとデポを回収。C3へと高度を上げる。そろそろソリ行動もだいぶ慣れてたが、我々はカシンリッジへのアプローチとしてウェストリブを下降するという、北東フォークを省略するルートを考えていたため、クライミング道具一式とカシン用の食料をメディカルキャンプまで上げねばならず、何せその分かさんだ荷物が重かった。順応はまずまずであったが、そろそろ高所の影響を受け始め息が切れることもしばしば。C3にはテントの数もそれなりにあって、ガイドの公募隊も数パーティ見受けられた。ここへ来てようやくインマルサッ トが電波を掴む。ここにも使用済みCMCや読み終えた本や不要品など少量をデポ。気温もだいぶ寒くなってきた。みんな乾燥で喉を痛めはじめる。

●5/27~29 C3~荷揚げ~C4
急峻なモーターサイクルヒルを超えるのが一苦労。ちなみに僕はメトリウスのホールバッ グ160リットルをソリに乗せて引っ張っていたのだが、バッグ自体は防水性もあって大変使いやすかったものの、つい荷物を多く入れ過ぎてしまい重くて引くのが大変であった。 ソリはあまり重くしないというのがデナリのソリ行動のコツ。ウェンディコーナーを超えたC4手前の雪原に一旦荷物をデポ。ウェンディコーナーは本当に風の通り道で登高は寒くてなかなかつらかった。ここまでの間も相当の登山者が行き来している状態で、すれ違い待ちになることも少なくなかった。Oさんはしきりに靴擦れを痛がっていた。 メディカルキャンプ(C4)ではかなり多くのテントが設営されていて、良いテン場を探すのに苦労した。ここはおおきなプラトー状になっていて風がうまい具合に避けられ、前面にはフォレイカーとハンターが、背後にはこれから登るウェストバットレスのフィックスロープ地帯が望めた。各国の登山者がたくさんいて、スキー・スノボやらガイドの大所帯やら様々なパーティが居た。これから下山するというシアトルの登山者にはパスタやハム等の食料をもらい受けた。ちなみにここまで手袋はずっとテムレス。やっぱりこれは優れモノ。コリン・ヘイリーも使っているらしい。ちなみに彼は僕らがMCに入る前にカシンを8時間(?)で登ってしまったらしい。

デナリの稜線にて
デナリの稜線にて

●5/30 C4~ウェストバットレス上部へデポ
C4からウェストバットレスのフィックスロープ部分を超えて、ハイキャンプまで荷揚げしに行く予定だったが、実際にはウェストバットレスを登り切った稜線上でデポ。フィックスロープ地帯は大体50度~60度くらいの緩めの雪壁をユマールで登高するんであるが、結構長い間登りが続くのでなかなか息が切れる。Oさんも靴擦れが痛くなってしまったようだ。みんな毎日の行動で疲れていたのもあって短めで切り上げて引き返すことに。

●5/31 C4にてレスト
この日は前日からの天気予報で悪天候であることが分かっていたのでレスト。テント裏のトイレのスノーブロックを積みなおしたり、カシン用の食料や燃料を確認したりして過ごす。夕食はちらし寿司と豆腐。豆腐は高度の関係でうまく固まらなかった。黄瀬さんという単独で七大陸ピークを目指している方と出会う。

デナリの稜線にて2
デナリの稜線にて2

●6/1~2 C4~ウォッシュバーンサム手前へデポ~ハイキャンプ
C4から稜線上のデポを回収してハイキャンプへ…登る予定であったたが、多くの登山者でウェストバットレスは大混雑。特に稜線上の大渋滞に巻き込まれて時間がかかってしまい、やむなくウォッシュバーンサムという岩塔手前に穴を掘って再度荷物をデポ。デナリの多くの登山者は、日本の富士山など有名峰の登山者と同じように初心者が多い。荷物の持ち方や行動は見ててちょっと不安を覚えざるをえなかった。稜線上では各所にレンジャーが残置したスノーバーが埋められており、もとよりみんなそれでランナーを取りながら登高しているのでかなり時間がかかっていた。しょうがないので引き返して翌日出直すことに。 結局この翌日、ウェストバットレスを登高(三度目)してハイキャンプへ。稜線上はクレバスの心配もないのでロープは外してデポ。荷物を回収して稜線をひたすら進む。ハイキャンプにはレンジャーが居てヘリポートや緊急物資が入ったコンテナなどがあった。ここからはデナリパスまでの長大なトラバース斜面と、はるか下にはMCが見下ろせる。思いのほかだだっ広い場所で、トイレ場がなかなか見当たらないのが不便。ここにはカシンリッジを登った後に下降する時用の食料や燃料をデポする。

●6/3 ハイキャンプ~ピークアタック(一回目)
いよいよこの日はハイキャンプよりピークを目指す。テントから外を見ると天気は晴れているが明らかに風があってフットボールフィールド方向には傘雲がかかっている。出発してすぐにレンジャーから「今日は遭難してもレスキューのヘリが飛べないから覚悟していくように」との説明があった。他に出発する登山者も少ないようだ。ただでさえ気温が低いので少し風があるだけでかなり寒い。デナリパスまでの長大なトラバースの登行は息も上がってかなりきつい。果たしてこのような高所の苦しさの中でクライミングが出来るだろうか?稜線へ上がると、さらに風があって尚且つ雲の中に入ってしまった。これ以上登るのは厳しそうなので引き返すことに。無理をして足やら手の指を 失っても意味がない。

ハイキャンプ・アタック日
ハイキャンプ・アタック日

●6/4 ハイキャンプ~ピークアタック(二回目)
気を取り直して再度ピークアタックに出かける。朝早すぎると寒くて行動できないので、 陽も登った10時あたりから行動を開始する。この日は昨日より天気が良く多くのパーティ が動いていた。デナリパスまでガイドの公募隊をはじめとして結構な長蛇の列が連なっていてなかなか進まない。止まっていると寒いので、みんな手足をブラブラとひたすら振り続けている。今日は風もそれほどなくデナリパスからも割とペース良く進めた。しかし高度の影響でこのあたりからIさんとYさんのペースが遅くなり始める。僕も足がすっかり冷 たくなってきてしまった。フットボールフィールドを超えるころには時間切れを見越して撤退を決めている公募隊も見受けられた。5500mくらいから視界が途切れ途切れに悪くな りだし、頂上直下の稜線上ではすでに曇り空になって周りの風景は望めなかった。20時半頃、僕とOさんがまずピーク着。IさんYさんも一時間遅れながら無事に到着。寒くてじっと待っていられないので僕らは先に下山することにさせてもらう。下山時はだいぶガスがかかってきて、トレースを示すフラッグ伝いに慎重に下山する。さすがに6000mでの長時間行動は身体にこたえ疲れた。22時頃Oさんと僕がハイキャンプに帰還。1時頃YさんとIさんも到着。というわけでとりあえずノーマルルートは日数をかけたおかげもあって順応もうまくいき、少なくとも僕とOさんはすんなりピークに立てた。

フットボールフィールドにて
フットボールフィールドにて

●6/5 ハイキャンプ~C4
とりあえず、ハイキャンプからC4に戻って今後の予定を考える。カシンリッジへのアプローチ日はいつにするか。インマルサットで取得している天気予報はどうも思わしくなく、これより悪天候が続く可能性が示されていた。このマウンテンウェザーフォーキャストからの天気情報はかなり正確でこれまでほとんど当たっていたので、僕らはひとしきり天候待ちの停滞を覚悟し始めていた。

●6/6 C4~ウェストリブカットオフ偵察
この日はノーマルルートのみのIさんは別れて下山。Yさんは高度障害の影響によりカシンへの参加は諦めることに。僕とOさんはカシンのアプローチに使うウェストリブを偵察しに行くことに。天気予報は晴れ後曇りの予報。ウェストリブまでの斜面にはカシンに向かったとみられるトレースがついていた。途中アメリカ人の二人組パーティに抜かれる。やっぱり西洋人とは体のつくりが違うのか、彼らは恐ろしくペースが早かった。カットオフを3時間ほど登高しウェストリブの下降ポイントと見られる地点へ。しかし残念ながら天候が悪く なってきて、ウェストリブは雲間に切れ切れと見えるような見えないような。先行のアメリカ人パーティが少しだけ下って様子をみて来ており「ここからで間違いない。」と言った。近くの大岩基部にクライミングギアや食料をデポしてMCに戻る。テントに戻った後、結構な勢いで雪が降りだす。

デナリピークにて
デナリピークにて

●6/7 C4停滞
早朝に届いた天気予報でやっぱりこの後6/10以降の天気が悪いことが判明。とりあえず昨日からの雪もまだ降っているのでこの日は停滞することに。スキー好きの外国人はこんな雪の降りしきる中でも喜んで新雪斜面を滑っていた。側壁のルンぜなどからは雪崩が頻発。

●6/8 C4~デポ回収
この日早朝に届いた天気予報でカシンリッジへ挑戦するには時間切れとなることがほぼ確実に。どうやって見積もっても悪天に阻まれることは必至で日程が足りない。ショートルート転進も難しく、せめてウェストリブだけでも登りたかったのだが二日かかるのとルートの下調べもしていないので、なかなか微妙。悪天候につかまると天気予報的には一週間は身動き出来なくなってしまうので、残念だがさっさと下ることにした。隣りのテントのオーストラリア人も翌日で好天は最後との見方だった。デポ回収のため僕はハイキャンプに、O&Yさんはウェストリブの大岩まで行った。このハイキャンプまでの単独散歩は天気も良く素晴らしく気持ちよかった。

●6/9~11 C4~C3~C1~LP~タルキートナ
翌日よりすたこらさっさとC4から下山開始。6/9はなんとC3までしか降りられなかった。これは疲れのせいもあったが、クライミングギアを含む荷物が重くてソリのバランスが悪く、モーターサイクルヒルの急峻な下りに苦労したため。くたくたになりながら下降するにつれ段々と天気も悪化。下界ではもはや雪が薄くなっていてヒドゥンクレバスの不安も大きかった。LPに着く頃は風が結構強く吹いていて、セスナが飛んでいるか心配だったが視界があったので問題なかった。フランシスとハンターが見えてLPに実際に到着するまで遠いこと遠いこと。そんなこんなで這う這うの体でセスナにのってタルキートナに戻ったのであった。

ちなみにこの後デナリに入っていた日本人パーティから聞いた話では、以降はずっと天気が悪く、ひたすら毎日雪かきでピークどころかハイキャンプにも行けなかったそうな。まー天気ばっかりはしょうがないと諦めるほかないですね。

この後僕らはしょうがないので残りの日程を、フェアバンクスでレンタカーを借りダルトンハイウェイを北上。北極圏のデッドホースという町までドライブしたりして過ごした。初夏のアラスカの大平原にはちょうどたくさんの花が咲き始めており原生の美しさに満ちていた。ブルックス山脈やノーススロープと呼ばれる果てしなく続くツンドラ地帯はひたすらに広大で荒々しい。コールドフット以南の森林地帯は車窓を流れる景色も北海道の自然によく似ていて親しみを覚えた。
また、この遠征でとても感銘を受けたのは、もちろんアラスカの自然もさることながら、出会ったアラスカの人たちの親切さ。みんな過酷な環境の中で生きているので共同体意識が強いらしく、みんな気さくでお互いの助けになることを考えている。どこへ行って何をやろうにも必ず誰かが僕らを気遣い手を差し伸べてくれた。そんな素晴らしい土地アラスカ…また行かない手はありませんね~。